3・25
- 2009.03.25 Wednesday
- 戦争・紛争関連
- 00:04
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- by まじっく
1年3ヵ月の突貫工事で、連合軍捕虜ら10万人以上が犠牲になった。
昭和18年9月に、タイのカンチャナブリ憲兵分隊に通訳兵として配属された。その時は泰緬鉄道が開通する1ヵ月前。すでに1万人もの捕虜は遺体となって埋葬されていた。
防衛庁防衛研究所の資料を見ると、泰緬鉄道建設に従事した連合軍捕虜は6万1800人。そのうち7割が病に倒れ、1万2000人以上が死亡したと言われている。
永瀬さんは捕虜の遺体がそれぞれ一斗缶を抱いているのに気付く。その中のメモには当時の日本軍の隊長、捕虜係の名前とともに死因が詳しく書かれていた。それを元に、捕虜に対して残虐行為を行った旧日本軍将兵は戦後の戦犯裁判で次々に裁かれていったのだ。